スコセッシ監督の部品になれるなら無心で捧げる
自身を“信者”と言うほどスコセッシ監督を敬愛する塚本晋也さん。その現場では映画監督としての気づきも得られたそうです。
■スコセッシ教の信者として身を捧げた
――そこまで身を捧げられたのはなぜですか?
それはもう、スコセッシ教の“信者”であるので。スコセッシ教の信者である以上、全然大丈夫ですね、命のことは(笑)。厳粛な気持ちでしずしずと海の中に入りましたけどね。
――もう捧げてもいいと(笑)! モキチのキリスト教への身を捧げ方と重なる部分もありましたか?
なるべく自分でも、すり合わせるような気持ちではやっていましたね。自分が特定の信仰を持たない以上は。
――そこまでのスコセッシ信者になられたキッカケは?
17歳の時に初めて『タクシー・ドライバー』を観た時にはもう、信者の道は始まっていたかもしれませんね。素晴らしい映画で、スコセッシ監督が34歳の時に作られた映画ですが、自分が18歳の時に観ても20歳で観ても、自分がその年令を越えても、いつまでも発見がありますし、他の映画も素晴らしいですし。
スコセッシ監督の部品になれる、そのチャンスがあるかもしれないというだけで、これは全霊を注ごうと。最初のオーディションも受かるとかいう以前に、もしかしたらスコセッシ監督と同じ部屋で同じ空気を吸えるかもしれないというぐらいの気持ちで行きましたから。
――本当にお好きなんですね!
受かるというのは望みが高すぎるので。それに最初はモキチの役ではなく、もう少し小さい役だったんです。それでも一生懸命台詞を練習して行ったら、キャスティングディレクターのエレンさんという方がその芝居を見て「モキチの方をやってくれ」と。段階を踏んでいたのでやる気になったという感じですね。最初からモキチの役だったら、そんな非現実的なことに一生懸命になれなかったかもしれませんけど、じゃあ一歩ステップを踏んだので、こっちもできるかなという感じで。
――そうして得たモキチ役には、無心で身を捧げていた?
無心でしたね(笑)。台湾に長いこといましたけど、観光をエンジョイなどは一切しませんでしたし、食事の制限もあったので、外に出るのはスーパーに行く時ぐらいで。スーパーで食べる物を少し買い、日光を浴びながら近くの公園に座って食べて、またホテルに戻って毎日毎日練習しているだけですね。ただ無心で捧げるだけで。
――もう求道者ですね! 報われた感じはありますか?
それは充分にありましたね。もう、こんな大事な役で出していただいて。(テロップも)SHINYA TSUKAMOTOと1枚で出してもらいましたし(笑)! 何人かだろうなと思っていたら、スコセッシ監督の映画で1枚だよと。本当に光栄ですね。もう死ぬんじゃないかってぐらいですね。
――夢が叶ってしまって(笑)。
これから走馬灯を見るんじゃないかって感じがしてきますね(笑)。
■映画には、監督の怨霊が宿る
――ご自身の作品で海外の映画祭に行かれることもよくありますが、俳優として世界と関わるというのは、これまでとは違う感覚だったのではないでしょうか?
そうですね。ただ、現場の規模はあまりに違うけど、現場の中心となる映画を作る作り方も志も日本と同じなので、そこが非常に自分の励みになりました。現場がスムーズに進むための周りの固め方など、取り巻く環境はあまりにすごいわけですけど、その核となる考え方は同じなので。
――その「同じ」というのはどういった部分ですか?
向き合う感じですよね。映画を作っている時の気持ちだけじゃなくて、作り方が同じなんです。スコセッシ監督というスペシャルな映画を作っている人って、どんなスペシャルな現場なのかと思ったら、作り方は同じなんですよね。
よく思うんですけど、いろんな監督の現場に行っても、特別なことがないんですよね。でもその監督の映画になるので、きっと何か違うところで監督の怨霊というか(笑)、念が映画に入るんですね。それでいつも監督の映画ってできるんだなと。本当に日本のスタッフの人たちに「同じだぜ!」と言ってあげたいぐらいです。これから映画を作っていく上で、気持ちの上でのいいおみやげができましたね。
【『沈黙−サイレンス−』塚本晋也さんインタビュー(全4回)】
『沈黙−サイレンス−』公開情報
2017年1月21日(土)全国ロードショー
原作:遠藤周作『沈黙』(新潮文庫刊)
監督:マーティン・スコセッシ
出演:アンドリュー・ガーフィールド リーアム・ニーソン アダム・ドライバー 窪塚洋介 浅野忠信 イッセー尾形 塚本晋也 小松菜奈 加瀬亮 笈田ヨシ
公式HP:http://chinmoku.jp/ # 沈黙
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