撮影2日目で演じた最重要シーン「終わった瞬間、泥の中でこみ上げました」
物語の前半では、宣教師として江戸時代の日本に渡ったロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ神父(アダム・ドライバー)と、弾圧される隠れキリシタンたちとの出会いが描かれます。中でもモキチ(塚本晋也)はひときわ信心深く、ロドリゴ神父の心に最後まで希望の明かりを灯し続ける存在。そのモキチを演じることは、精神的にも肉体的にも過酷だったようです…!
■終わった瞬間に「こみ上げた」という緊迫のシーンは、なんと2日目に撮影!
――実際に現場に入っていかがでしたか?
本当にドリーム・カム・トゥルーですよね(笑)。もう頂点と言ってもいいような夢の実現という感じなので、本当に夢の中にいるような、ここが一番頑張りどころだと、まざまざと意識しながらやっていました。
映画がもともと好きなわけですし、ましてやスコセッシ監督の現場ですから。そして監督は萎縮させることもせずにのびのびやれと体で表しているので、そうしない手はないという感じでのびのびとやっていましたね。
――最初のオーディションで選ばれ、その後も雑談だけで現場に入ったということは、モキチ役として完全に信頼されていたということですよね。
それなので、もう全霊で行くしかないと思っていて。特にモキチは映画前半の大事な役で、信者としてのモキチの熱狂的なまでの信心ぶりがきちんと描かれないと、後半の説得力がまるでなくなって映画の緊張感も続かなくなっちゃうんで、本当に全霊で行きましたね。まして(ロドリゴとモキチが額を合わせる写真を指して)この大事なシーンが撮影の2日目にあったので。
――ロドリゴ神父とモキチが心を通わせる大事なシーンが早くも2日目に!
1日目はみんなで山を歩くという、初日に相応しい“慣らし運転”のようなシーンのあとに、いきなり2日目にこのシーンで。アンドリューの役もやっぱり任されているような大事な役で、彼が指針を作っていくと言ってもいいようなシーンなので、けっこう気持ちが入った感じでその場にいたので、それに匹敵するように自分を盛り上げて臨みました。
そして何テイクも何テイクも撮るんです。何度も撮るというのは聞いていたんですけど、もし自分が監督だとしたら、集中して一発で撮ろうとするような思いっきり大事な緊迫のシーンも、何回も何回も撮るので(苦笑)。これは持たないなと思いながらも全霊を注ぐしかないので、その撮影が全部終わった時には、泥のぬかるみの中で「うぅっ…」ってこみ上げましたね(笑)。
――海で磔(はりつけ)にされるシーンが本当に壮絶で、あのシーンがあるからこそ信者の苦しみが伝わりますが、撮影でもう死んでしまうんじゃないかと心配になりました!
現場でもみなさんそう思っていたみたいですね。僕もちょっと思いましたし。
――(笑)。
もちろんスタッフの人たちが厳重に安全の管理をしてくれてはいるんですけど、ただ、あまり何の注意事項もなくザックリと「台詞は言う」し「波が来る」ということだけ与えられていて、実際に海に入ってみて波がザブっと来ると…。
一波一波、必ず鼻の中に入って自動的に咳き込むんですね。そうすると、次の波までに台詞を言うためには、まず早く咳を終わらせないといけない。1回で全部の台詞は入らないということはやりながら分かったので2行ずつ言おうとか、また次の波が来たら早く咳をうまく終わらせてまた2行言おうとか必死にやるわけですけど(笑)。最初のうちは咳き込んでいるだけで次の波が来ちゃうので、これはエライことだと思いましたけどね。
――聞いているだけで息苦しくなります! それは迫力のシーンになりますね!
編集でうまく見せるとかではなく、引きで実際に波を被りながら撮影をしているので、その迫力でしょうね。僕としては、入魂で芝居している他のシーンに比べると、恐怖で素に帰っちゃっているので、あまり人にオススメできるものではないと自分では思っていたんですけど。でも観た人はだいたいあのシーンがいいって言うので、僕はあまり演技はしないで素に帰っている時がいいのかとも思いましたね(笑)。まあ、本当に怖かったということです。
【『沈黙−サイレンス−』塚本晋也さんインタビュー(全4回)】
『沈黙−サイレンス−』公開情報
2017年1月21日(土)全国ロードショー
原作:遠藤周作『沈黙』(新潮文庫刊)
監督:マーティン・スコセッシ
出演:アンドリュー・ガーフィールド リーアム・ニーソン アダム・ドライバー 窪塚洋介 浅野忠信 イッセー尾形 塚本晋也 小松菜奈 加瀬亮 笈田ヨシ
公式HP:http://chinmoku.jp/ # 沈黙
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