映画界デビューは「小道具」でした 『日本でいちばん長い日』編集 原田遊人さん

今回のインタビューは『日本のいちばん長い日』で日本アカデミー賞優秀編集賞を受賞された映画編集者で俳優の原田遊人さん。この記事を読んだあと「原田眞人」で画像検索いただくと、とってもそっくりなお父さまのお顔をご覧いただけます。そう…この方は映画監督・原田眞人さんの息子さん。

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子どもの頃から俳優として原田監督の作品をはじめ、多くの映画に出演。さらに原田眞人監督作品の『伝染歌』『クライマーズ・ハイ』『初秋』『わが母の記』『駆け出し男と駆け込み女』では編集を担当。その手腕は高く評価され2008年『クライマーズ・ハイ』、2012年『わが母の記』、2015年『日本のいちばん長い日』で、それぞれ日本アカデミー賞優秀編集賞を獲得するほど。インタビューの第1回目は、俳優としての自身の生い立ちについてお聞きしました。

 

 

 

デビューは“小道具”だった?

―――俳優としてのデビューは?

これを聞かれたとき、いつも冗談っぽく言ってるんですけど、僕の役者としてのデビューは「小道具」から始まってます。

 

 

―――小道具?

はい、原田眞人監督のデビュー作である『さらば映画の友よ・インディアンサマー』なんですけど…ファミレスで泣いている赤ちゃん(0歳)という役です。

 

 

―――なるほど。それで小道具と

そのときの助監督が崔洋一さんなんですよ。だから、僕はある意味、崔さんに泣かされた役者の1人ですね(笑)。もちろん記憶はないんですけど。それから小学校の頃には現場によく遊びに行っていたという感覚です。最初に役として出たのは『おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!』ですかね。役名が覚えられなくて、役名も本名と同じ遊人にしてもらいました。そのときのお母さん役が桃井かおりさんで、遊び相手がおニャン子クラブという…今思うと、なんとも贅沢な状況でした(笑)。

 

 

―――たしかにそれはうらやましい!

ただ、そのころまでは、演技をするっていう意識はほとんどなかったです。なので、関根勤さんに脅されるシーンがあるんですけど、子どもなのでニヤけちゃうんです。そしたら、それを見ていた監督に怒鳴られて、涙が出て来たんです。そしたら、それ見た監督がすかさず「本番!」って…。それでそのまま自然にセリフが出て来ました。そのとき、ああこれが芝居なんだって思いました。

 

 

―――現場に入ればプロの役者としての扱うとはいえ…求める演技のためには我が子も泣かすんですもんね

今、大人になって、そのときの父の鬼のような演出というか、あれはすごいなと思いましたね。子どもにプロ意識をいきなり持たせるのは難しい中、その手法は一つの方法なんだなと思いました。

 

 

 

役者として生きていくと誓った日

―――それから本格的に役者を意識したのは?

『金融腐食列島 呪縛』(1999年)からでしたね。『バウンス ko GALS』までは、言い方はあれですが…ちょっと遊び感覚だったところがあって、でもそこで、女子高生の子たちが女優になりたいって本気で言って頑張っているのを見て、すごく感化されて、自分が恥ずかしくなって…。それから、自分で、工事現場などでバイトしてお金貯めてニューヨークの演技学校に行きました。その、ちゃんと勉強しようと思ったのが1997年です。それで戻ってきて最初の作品が『呪縛』なんです。

―――それぐらい特別な作品なんですね

『金融腐食列島 呪縛』は、自分の中で役者として一生やっていくんだって誓いを立てた一本です。役柄は、ブルームバーグという経済・金融の情報専門の通信・放送局のスタッフでした。役づくりのため、実際、ブルームバーグへ取材に行きました。そこで、今までやったことなかった取材のプロセスも経験できて、事件のことも調べましたし。監督は、ネクタイの結び方ひとつにもこだわる人なんですけど…だから、ブルームバーグの人たちはどうネクタイを結んでいるのか、普段はどう過ごしているのか、どう考えているのか…とにかく細かく見ました。取材の最後の方には、逆に正式なスタッフとしてスカウトもされました(笑)。僕にとっては、ブルームバーグは思い出深い存在です。

 

 

―――取材は役づくりにどのように反映されたんですか?

その経験は、リアリティというのは何かをつかめた一つでした。特に僕はアメリカ帰りという設定だったので、カラダもアメリカサイズのカラダにしました。日本人っぽい細いカラダじゃなくて、毎日ハンバーガーを食べているような体型ですね。まあ、いま見るとちょっと太り過ぎかなとも思いますけど(笑)。

 

 

―――たしかに、いまとは違ってマッチョなスタイルでしたね

 

 

 

編集として自分の演技を分析

―――それから、なぜ編集の仕事もやり始めたのですか?

編集に携わったのは、2005年の『自由戀愛』の頃からなんですけど、役者として、自分の演技を自分で分析してどうなのかってことを見たいという気持ちがありました。ちょうどその頃、いろんな人のプロモーションビデオとか作っていて…そしたら監督から“そういうのやれるんだったら映画編集もやるか?”と言われて。2007年の『伝染歌』が一番役者としても編集としても比重が大きかったですね。

 

 

―――役者と編集…どちらもプロとしての仕事が求められるワケですから…そのプレッシャーは相当だったでしょうね

でも、それで現場にいながら編集もするという僕の今のスタイルができたという感じです。現場にいるメリットや意味がハッキリもしました。現場にいて、このシーンはなんでカットになるのか、ということをその場で感じながら、知りながらやれるので。もちろん自分も演技しながらその感覚も活かすと。これが俺のやり方だと思いました。

 

 

―――なるほど。それぞれの経験・知見がそれぞれの場面で活かせると

まあ、その分、役作りをする時間はあまり取れなくなりました。特に2012年の『わが母の記』のときには、編集が完全に一人だったので、役作りする暇が全然なかったです。でも、現場には、ほぼ毎回行ってましたよ。原田組は特にですけど、役者として、何かあれば衣装に着替えてメイクして出て行く準備はできてますから。

 

【原田遊人さんインタビュー一覧】

(1)映画界デビューは「小道具」でした 『日本でいちばん長い日』編集 原田遊人さん
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(3)今夜、地上波初放送『日本のいちばん長い日』知られざる編集の舞台裏! 貴重な絵コンテも公開!
(4・最終回)「監督には誰でもなれる。ただ、なり続けるのが難しいんだ」

■「日本のいちばん長い日」情報

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通常版Blu‐ray\4,300+税 DVD\3,300+税

 (c)2015『日本のいちばん長い日』製作委員会

 

■原田遊人さん情報

株式会社つばさプロジェクト

http://www.tsubasa-project.co.jp/index.html

原田遊人さんのプロフィールページ

http://www.tsubasa-project.co.jp/talent1/eugene_harada.html

 

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